「しょうがない、まあいいか」

 不思議な言葉である。実際はしょうがなくないし、まあいいかではすむ話でもない。意味を考えたらおかしな言葉である。ただ、多くの人はその単語をしばしば使う。どういうことなのだろう。これは意味で考えてはいけない単語なのだと思う。人は考え過ぎて病み、考えることをやめられた時に心は回復する。脳のネットワークでいうと、考えるのはセントラルエグゼクティブネットワーク(CEN)を使い、それは答えがでるまで働き続ける。やり過ぎれば脳は疲弊してしまう。そこでセリエンスネットワーク(SN)でブレーキをかけて、デフォルトモードネットワーク(DMN)にエネルギーを移動する。健全なDMNは意識的にではなく、意識下でなんとなく丁度よい状態に収めてくれる。それで心のバランスは修正されるのである。DMNは脳のエネルギーをかなり使っており、DMNがうまく機能していない場合、マインドワンダリングしてしまい、DMNをやすめないと脳は休まらないということになる。発達障害傾向のある人は、DMNがうまく機能していないケースもあるが、ここでは、DMNは健全な脳のバランサーであるという立場で書く。CENの中にはまり込んでしまって、思考がとめられなくなって苦しい時、SNの力でブレーキをかけられた場合、「まあいいか」「しょうがない」という呪文をつかって、DMNの方向にスイッチを切り替えるわけだ。「しょうがなくない」「まあよくない」という「意味」ではなく、その呪文をつかって脳のモードを切り替えているのである。それはできる人には何も抵抗もなく、意識することもなくできることである。なので多くの人はある程度問題が起きても病んでしまうところまでいかない。病んでしまうほど悩むことができないのである。自動的にモード変換されるから。逆にそれができない人には、「しょうがない」「まあいいか」というイメージがわからない。そういう単語を使う習慣が全くない。「しょうがない」という言葉が1番嫌いなんですといって叱られたこともある。その呪文が無意識に口をついて出てくる人は幸いである。元々、柔軟な脳の性質をもって生まれたか、柔軟な環境で育つことができて、環境の影響もあって、そういう脳の習慣を身につけたか、思春期に葛藤状況に陥り、どうにもならなくなった末に、そういう能力を開花したか、何からの事情でそういう能力をみつにつけたわけである。逆に、もともと柔軟性がない脳の性質であったか、柔軟性のない環境で諦めることを許されなかったような方はそういう能力が低いだろう。頑張って何とかなっている間は問題にならないのだが、自分の思うようにならない現実に直面した際、非常に苦労することになる。それがこじれると、どんどん自分で自分を追い詰めたり、考え過ぎたり、思考のループからでられなくなって、心を病んでしまうことがある。

ただ、それは固定的な物ではなく、脳の習慣であるため、訓練すれば修正できる可能性は十分にある。「しょうがない力」が弱い人が、問題に直面すると知らぬ間に考え過ぎるパターンに陥るわけだが、どう修正すればいいのか。外国にもあるのかどうか知らないが、日本には「形から入る」という文化がある。形からはいって反復訓練すれば、それが習慣化して、自然に変化を起こす可能性が高い。なので、「しょうがない」と思いにくい人も。そう思えなくても、嘘でもいいから、折に触れ「しょうがない」「まあいいか」と口ずさむ練習、それを延々と反復訓練して、自然に口をついてその言葉が出てくるようになれば大成功である。それは脳のネットワークの連動に変化をおきた証拠である。そういえば、そういう言葉はあまり使わないなと思う人は、是非取り組んでほしい。これも心の受け身の一つである。

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