生物学的視点3
想像力とはなんなのか。想像とは現実ではないことを考えることである。それは極めて個人的な体験であり、他者と共有できているとは限らない。そもそも想像のリソースは、過去の体験、経験値、知識である。頭の中にないことは想像できない。宇宙のことを想像する場合も、今までにみた写真や影像、映画、漫画などを頼りに想像しているだけで、本当のことは分かるはずもない。宇宙飛行士になったとて、人間が触れられるのは地球からほんの少し離れたところまでである。銀河の果てのことなどリアルに想像できるはずもない。そういった極めて限局的な能力を用いて、人間関係、社会的役割などに臨んでいるのだら、認識のずれ、勘違い、さらには病的なレベルのエラーが起きても何の不思議もない。そもそも、問題が起きていないことが不思議なことである。普通の人間関係に置いても、テレビなどメディアから流される話を聞いていても、イライラすることが多い。そうじゃないのに反論もしにくい。この場合、正しい方の勝ちではなく、押しが強い方の勝ちになる。健全な人間関係では勝ち負けははっきりせず、「へーそうなんだ-」という感じで流す。同意しているわけではないが、反論することもしない。その後、「あの人はそういう考え方をする人なんだ」と理解し、その後の付き合い方を微調整していくわけだ。相手が同意してくれたとて、「あの人は優しいから聞いてくれた」と思うだけで、自分の言っていることが正しいとは思わない。そんなふんわりした、想像力の海の中をなんとなく漂っているのが健全な関係であるように思う。善悪、正解不正解、勝ち負け、白黒などはっきりしない、お互いの都合と都合が、大きな摩擦を起こさない程度に緩やかな接点をもって、適度に混じり合っているのだろう。そういう関係の中にいるときは居心地はよく、緊張感も少なく、思ったことを思ったように表現する自由がゆるされている、そんな感じなのだろう。
不健全な想像力は、現実との区別がつかないとか、想像が現実だと確信し、想像した世界観を押しつけてくるような感じだろうか。そこには善悪、勝ち負けしかなく、弱い方が屈服して不本意ながら相手に合わせていくしかない。居心地は悪く、緊張感がただよう関係である。さらにやっかいなのは、勝手な想像を押しつけてくる人は、それが現実だと確信しているので、迷いがなく、話し合う余地もない。
そのように想像力とは人間特有のすばらしいものであると同時に、もっともやっかいな代物なのである。