心のダメージ

 「心に降りかかってきた衝撃を分散して、致命傷にならないようにする」それを心の受け身と呼びたい。多くの人は、(程度の差こそあれ)人生の中でとんでもなくひどい目にあったり、恐ろしい思いをしたり、心にダメージを受ける経験をしているだろう。それなのに、時間はかかるにしても、そのダメージから立ち直り、人生を生きている。誰しも赤ん坊の時は無力で、何にもあらがうことができない。幼児になれば、ある程度言葉で訴えることができるが、ただ泣き叫んだり、怒ったりするだけだ。泣きつかれて治まることはあっても、心の中で何か自力で操作して落ち着かせたわけではない。小さければ小さいほど、些細なことでも恐怖や不安の原因になるだろう。赤ん坊はお腹が空いたり、オムツが濡れたりしただけで、火がついたように泣き叫ぶ。泣き叫んで、誰かに何とかしてもらわないと生きていけない。本人は完全に無力なので、100%に近く養育者の努力によって爆発的な心の反応が落ち着くことになる、というより落ち着くまで養育者が何とか保護してくれるわけだ。言葉が使えるようになっても、心はまだまだ未熟なので、養育者が落ち着くまで何度も何度も言い聞かせて、大暴れ状態に付き合ってくれて、心の嵐が静まっていく。小さい時に、心の嵐(不安や恐怖)に根気よく、繰り返し養育者が関わってもらえた人は、本当に幸いである。本人の努力ではないから。たまたま運良く、よい養育者がそばにいてくれたという幸運があったから。心の嵐が収まるというのは、興奮状態(体に力が入った状態)から弛緩(体が脱力した状態)に移行するということだ。

恐怖や不安は体を硬直させる、思い切り力がはいる状態になる。それが力が抜けて脱力するまで付き合ってくれる人がいることで、脱力することを身につけていくのだろう。この脱力できる能力というのが、後の人生に大きな差をもたらすことになる。脱力できるということをもう少し具体的に説明しよう。背もたれのない丸椅子に座っている時と、背もたれがある椅子、あるいはリクライニングチェアに座っているとする。どちらが力が抜けるだろうか。当然背もたれがある、さらに柔らかい背もたれがある方である。つまり脱力するには支えが必要だということだ。その支えも全体重を預けても大丈夫な支えであれば尚よい。よい養育環境にあった人は、何があっても守られるという体感があるため(支えがあるため)脱力しやすい。守られるという経験が希薄な環境(さらに厳しい状況としては虐待があった場合など)で育った人は、常に自分で力をいれて姿勢を保持していないと倒れてしまう(生きていけない)という状態になる。そこに心のダメージが加わると、無理な我慢をし、ついには破綻することになる。ダメージを回避するすべがないからだ。

人は自分の人生しか生きていないので、他者がどういう感覚で生きているのかは永遠に分からない。やっかいなのは、たぶん他人も自分と同じような感覚があると思い込んでいることだ。なので、不安緊張が強い人や、衝撃から立ち直りにくい人に対して、心が弱いとか、甘えているとか言うのは大きな誤解である場合が多い。そこそこ不安や緊張に耐えられ、心のダメージがあっても自力で回復できる人は、自分が強いのではなく、幸運な養育環境にあったことに感謝するべきなのである。心の受け身がとれているのは、無力な時代から根気よく受け身の練習に付き合ってくれた他者の存在があったことを忘れてはいけない。

そうはいっても、今受け身ができない人はどうすればよいのか、これからどういう練習をしていけばよいのか、ここからがとても大切なテーマとなる。

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