開き直るという能力
「心の受け身」、「思考を停める」という反射レベルの機能の大切さについて強調してきた。言い換えると「諦める」「開き直る」ということだ。これらの言葉は良くない意味で使われることがあるが、私は最も重要な機能であると考えている。学校や部活で「諦めるな、諦めたらそこで終わりだぞ」みたいに叱咤されたことが多いのではないだろうか。裏を返せば、多くの人間は、力を出し切る前に諦めてしまうからだ。一般的には諦める方が楽なのである。こういう時に使われる諦めると、今から言わんとしている諦めるは微妙に違う。もっと重要なことは諦めるというのは、考え方ではなく、脳の機能であるということだ。精神的に病んでしまう人は諦める機能がうまく使えないため、思考を停めることができない。そもそも考えても答えが出ないこと、例えば過去のこと、未来のこと、答えがないことについて考え続けても負のスパイラルに陥っていくだけで、解放されることはない。その苦しみから逃れるためには、強制的に脳機能を停止させるしかない。リストカット、多量服薬、アルコール多飲、その他依存行為などは他の刺激によって強制終了するか、脳を麻痺させる行為である。それ以外に方法がないのであって、その行為をよくないと責めたとて何の意味もないのである。他の方法を提示できない以上、責めることは適切ではないだろう。
諦める、開き直る、思考を停めるという行為にはサリエンスネットワークの機能が重要になると思われる。ニュートラルな状態にキープし、より適切な方向にスイッチを切り替えるわけだ。考えすぎる人は考えない状態に、空想の世界に入ってしまう人は理性的な方向に修正する必要がある。その天秤の中心をなすのがサリエンスネットワークであると思われる。
脳機能は生まれた時から決まっている部分と、生後の学習で変化していく部分があることは誰もが同意するだろう。ただ、どこまでが規定されていて、どこまで変化させうるのかがわからない。私は右利きであるが、それは生来決定されていた。しかし、右手が使えなくなったら必死で練習して左手である程度のことはできるようになることは誰もが理解できる。心の機能はどこまで決まっているのかがわからないわけだ。生来なのか生育過程で決まるのかわからないが、セントラルエグゼクティブネットワーク、デフォルトモードネットワーク、サリエンスネットワークの強度は人によってずいぶん違うように思う。
おそらく多くの機能は生来のものと、その後の経験とが相まって形成されていくのだろう。諦めるという機能もそうなのだろう。そもそも、諦めるとか開き直るとかいうことは、危険を伴うことだ。この行為は思考の停止と全身の脱力によって成し遂げられるからだ。考えるのをやめて脱力したら、もはや何にも抗うことはできない。ジャングルで野生動物が襲ってくるかもしれないところで、そんなことは決してできることではない。安全であるという保証のもとでしかできるはずがない。ということは、諦める能力を獲得するためには、「安全な環境」が保証されている必要がある。
赤ん坊の時、その後の数年間は、人間は無力であり、大人の助けがなければたちどころに死んでしまう。確実に守ってもらえる環境があって初めて、人は「力を抜くこと=甘えること」ができるのではないだろうか。守ってもらえない環境下では、身構え、警戒し、力を抜かず、油断しないで生きることを強いられることになる。守ってもらえる環境は自分で選択したものではなく、与えられたものである。諦める、開き直る、そして脱力して身を投げ出せる人は、物心つく前に守られていたと言えるだろう。精神的に追い詰められ、なかなか諦められず、適切な行動が取れないと、甘えているとか治す気がないと言われることがあるが、実際は逆なのではないか。ある程度の所で諦めることができて、ある程度のところで開き直ることができる人は、「自分は守られていた、運がよかったのだ」と感謝するべきであり、それができない人を責めるようなことをしてはいけないと私は思う。